第百二十一回 国語教壇修養会資料

日時 平成十六年一月 日
会場 岩手町立沼宮内小学校

芦 田 先 生 の 実 践 に 学 ぶ

 私は、芦田恵之助先生、鈴木佑治先生の実践を具体的に継承しているこのいずみ会で育てられました。それは、昭和四十三年に新採用教員として東京都杉並区立沓掛小学校に赴任しましたのが縁です。沓掛小では、助松太三校長先生のご指導を受けましたが、修養会に参加するようになったのは、郷里の山梨県に帰ってからの昭和四十九年のことです。その当時、自分の実践に行き詰まりを感じ、助松先生にご相談しました。すると、当時勤めていた上野原町立棡原小学校に来てくださいました。その時のご指導から会に参加するようになり、少しずつ薄皮が剥がれるかのように悩みが消えていきました。その間の私自身の変化を振り返りながらこの先の話を進めていきたいと思います。

 いずみ会では、芦田先生が確立された国語科指導の方法を教式と言っています。
 教式には、読み方指導(七変化の教式)と綴り方指導(作文の教式)の二つがあります。この二つは車の両輪として連携を保っています。時間的にいいますと七対三の割合で読み方指導に重点がかかりますので七変化の教式を教式といい、他を作文の教式といって使い分けています。
 いずみ会は、鈴木佑治先生を師として発足した会です。鈴木佑治先生は、七変化の教式を国語科指導の単純形態として整理してくださいましたので、私たちは、国語科指導の単純形態に沿って実践しています。
 私はこの頃、芦田先生の話された 共に育ちましょう というお言葉の意義を考える機会が増えました。現任校でも「共に育ちましょう」を合い言葉に学校運営にあたろうと話しています。

具体的には
 一 自分が育つ喜びを味わおう。
 一 子どもたちが育つ姿を喜ぼう。
 一 子ども同士が共に育つように考えよう。
 一 子どもと教師が共に育つように工夫しよう。
 一 子どもと親が共に育つように話を伝えよう。
 一 教師同士が共に育つように切磋琢磨しよう。
 一 親同士が共に育つように連携しよう。
ということだと私は考えています。

     国語科指導の単純形態と教育的配慮

 別紙資料を参照いただきながら、教式の持つ力の根元を教育的配慮という側面から迫ってみたいと思います。

    一 継続は力なり

 読みの指導においては音読を重視しています。それも、皆読(どの子も読めるように)を目指しています。そのための配慮として、 一 よむ は、順繰り読みを行います。順番を決めて読んでいきますので必ずどの子にも読む番が回ってきます。ですから、上手下手は問いません。ただ大きな声でゆっくり読むことを指示するだけです。それが、子どもたちに安心と覚悟を決めさせます。自主性はこんなところから生まれてくるのだと納得しています。この成果が現れるまでには、時間がかかります。少しずつ積み重ねることによって付いていく力ですので付け焼き刃ではありません。張りのある堂々とした読み声は自尊心を育てます。更に、読む前には、家で読んでみたかと問うことになっています。ここは「読んでみたか」であり、「読んできたか」ではないのです。これは、あくまでも自覚の上に立った行動をうながしているのです。そして、音読が終わったら、必ずその努力を認める一言を添えます。
 その 一 よむ を援護するために 五 よむ に工夫が隠されています。ここでは、板書された語句や文をクラス全員で読みます。指黙読(教師の指揮棒に沿って黙読する。熟達には十年をようするといわれている)に続いて指音読(クラス全員が声を揃えて音読する。 指揮棒=鞭の動きが更に難しいのだが)をします。これで、一人で音読することに不安のある者が自然に鍛えられます。しかし、自主性を育てる意味から五年生以上は、ここでも順繰り読みをすることになっています。
 次に、 四 かく について考えたいと思います。ここでの活動は視写です。視写することの意義は、莫大なものがあります。まず、書くことを嫌がならなくなり、しっかりした字を書くようになります。次に、言葉を的確にとらえられるようになります。これが、視写は手で読む活動だといわれるゆえんです。更に、綴るための基礎的な力が自然に身に付きます。この活動も一朝一夕に成果が上がるものではありません。毎時間毎時間、少しずつ続けることが大切です。最初は、最後まで書けない子もいますが、三ヶ月もすれば、どの子も時間内に書けるようになります。子どもの伸びる力を信頼して、書かれたノートを見ながら激励して回ればよいのです。先生も、精一杯の板書(三年で一人前になるといわれている)に励めばよいのです。この師弟共に視写する時間の価値が分かるようになりますと、この教式の素晴らしさが実感できるようになります。そのためには、教式に沿って実践してみてください。
 皆読 皆書 皆話 皆綴 は芦田先生の悲願です。どの子もという願いを実現する具体的な教育活動として示されたものが芦田教式です。自然に無理なく力がついて自尊心が高まる活動が組み込まれていることがお分かりいただけたのではないかと思います。
 授業の流れは大きく三つに分かれています。書く活動がその中心になっています。最初に全体像をつかみ、書く活動で焦点化し、今日の授業の山場に迫るようになっていますので、活動に変化があり、子どもの集中力が自然に育ちます。天声人語に「座力」という言葉が紹介されていました。それは、古くからのヘブライ語「ユーアハ・イェシヴァー」のことで、長時間椅子に座っている能力だそうです。ユダヤの人々から優れた学者や芸術家が輩出する一因に、幼いころから聖書の勉強などで「座力」が鍛えられるからではないかというです。

    二 文章をとっぷりと理会(理解と比べてください)するのは楽しい

 教式では、文章を立体的に読むように流れが組み立てられています。
 第一次指導で、概観をします。第二次指導で文章の重要なところを扱います。第三次指導で文字・語句を文章の理会と結びつけて確かなものにします。どの指導も文章をもとにして具体的に考えますのでどの子にも読むことの楽しさが味わえるのです。
 第一次指導の眼目は文章を一握りにしてポケットにしまって帰れるようにすることです。ですから、どの子も安心して次の授業を楽しみにできるのです。どの子も、耳が先に発達していますから、文字は読めなくても、音読してくれたら話が分かります。ここにも、どの子も理会が深まるようにという配慮がなされています。これは、足りない能力を責めるより今ある力を少しでも伸ばそうという教育的な情熱から生まれたものだと思います。そこには、子どもに対する楽天的な見方があるようにも感じています。ですから、覚えさせるとか教えるとかという次元でない共に楽しもうという姿が授業に出てくるのではないかと思っています。
 第二次指導では、第一次指導でにおわせた文章のこころを文に即して理会していきます。そのために、文章の大事な箇所に焦点を当てて指導していきます。絞り込まれた所を師弟共に視写していきます。この活動が、読みを深くするのに非常に効果的です。十分前後の時間を費やしますが、どの子も着実に力を付けていく仕込みの時間にもなっています。それから、板書された文章を全員で音読していきますので、どの子にも理会する準備が整うのです。続いて、板書された文章を深く考えるために二つのことを行います。一つは、語句の扱いです。理会を深めるために必要な語句の意味や働きを扱います。二つ目には、文章を必ず区分します。区分することによって相互の関係や文章の大事な点が浮かび上がってくるからです。この様に、地ならしをすませた後から文章のこころを考えますのでどの子も納得してくれるのだと思います。
 第三次指導では文章のこころを掴んだ目で文字・語句の学習をします。そのために、文字・語句の働きが具体的にクロースアップされ、それらの文字・語句が関連づけられますから、文字・語句の学習も楽しく進められます。理会が深まれば深まるほどに文字・語句が立体的に結び付き、単なる辞書的な意味での語句理解に止まらないところが素晴らしいと思っています。
 この教式を子どもたちの側から考えますと、調べ学習の訓練をしていることになります。「まず資料を読み、印象に残ったことを整理する。次に読みながら大事な言葉を書き出し、それらの言葉を関連づけて考える。それから、読みながら詳しく調べる部分書き出し、発表素案を作る。」ということになります。

    作文の教式の教育的配慮

 作文の教式は、記述と批正に分かれています。

    記述の教式

文話 作文を書く手がかりになる話を聞きながら、各自の生活を振り返る。
文題 作文の題の発表を聞きながら、醸し出される作文を書く雰囲気に浸る。
記述 原稿用紙一枚程度の内容に絞って、ますいっぱいの字で作文を書く。
自己批正 読み直して、加除訂正をする。
提出 半分に折って提出する。

    批正の教式

総評 作文を読み印象に残ったことを話しながら作文への興味を持たせる。
点呼 何点かの作品を紹介しながら、作文の楽しさを話す。
優良文朗読 優れている点がある作品を本人に読ませ、それに教師の共感を添える。
聴写 一つの作品を選び、読みながら板書する。それを聞きながら作文用紙に書かせる。
細評 作者に板書を読ませ、その良さを皆で確認する。

 作文の力を育てるには、実際に書かせるしかないのです。この教式には、そのための配慮が随所にあります。自分の書きたいことを書くこと、一度にたくさん書かせないこと、書かれた作品は宝の山と考えて教師が読むこと(するとケチをつける作文がなくなる)、教師が共感したことを皆の前で話すこと、聴写を通して書き方を学ぶことなどがあります。
 まず、時間割に作文の時間を設定することです。記述の授業の前日に、印象に強く残ったことを整理しておくことと書く分量は原稿用紙一枚程度であることを話しておくことです。書くときには、ます目いっぱいの大きな字を書くことと書く分量は一枚程度でよいこと以外は、特別な注文はしないようにする。そして、教卓の前で子どもたちの書くのを見守っていればよいのです。
 次に、書かれた作品を一生懸命に読むことです。全員の作品を一度の批正では取り上げられないので表を作り、三回に一回はどこかで取り扱うようにします。
 コメントを書く時間があったら、作品からの声を聴き取る気持ちで読むのがよいようです。カウンセリングマインドと共通しているように思います。ですから、この教式で作文を続けると作文の時間が嫌いだという子はいなくなります。全体に指導しているのですが、「先生は、私のことを見ていてくれる。私に話しかけてくれているのだ。」という気になるようです。この教式で作文の授業を十サイクル試してみてください。きっと、こんな体験が得られます。
 これらの活動で教師の児童理解が深まり教師自身が育つことが、共感をベースにした心休まる学級作りにつながり、子どもたちを育てることになるのだと思っています。子どもの育ちたいという本能を解き放すのに、この作文の教式は適していると思っています。

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