どきん

光村 三年上

 谷川俊太郎の詩である。
 「どきん!」、思いも寄らないことが起きて、びっくりしたのである。
 「だれかがふりむいた!」とある。末尾の「!」が問題だ。

 「だれか」がくせ者である。誰か名前も素性も知らない誰かが振り向いたのである。自分のことを気にして振り向いたのである。だからびっくりした。どきん! である。
 前行で「あるきはじめるかあ」と「かあ」を使っているので、「まあいいか、歩いてみよう」という感じである。それなのに、下の擬態語は「ひたひた」である。「ひたひた」は、「ひたひたと忍び寄る」というのが一番思いつく。あるいは裸足で歩くのだ。
 初めは「だれか」は分かっていて、ついて行ったのではないかと思った。その「だれか」に気づかれないように「ひたひた」と忍んでついて行ったと思った。それなのに気づかれて「どきん」としたのだと思った。「ひたひた」という言葉に影響される。谷川俊太郎の「耳をすます」という詩の中にも「ひたひた」という言葉が使われている。「モカシンのひたひた」である。そこでも戦争が忍び寄ってくる「ひたひた」のように使われていたと思う。広辞苑には「 (2) 水が寄せてくるように静かに迫りくる足音。また、そのような気配を感ずるさま」とある。これだ。で、誰かにひたひたとつけていたら、気づかれて振り向かれた、それでどきん! ということを思った。

……で、ないとすると。
 「あるきはじめるかあ ひたひた」の「ひたひた」が、裸足で歩く足音かと思った。引力を感じ、地球が回っていることを感じ、風を感じ、気持ちよくなって、歩き始めたら、誰かに気づかれて振り向かれた。自分の気持ちよさを、他の人に気づかれることはないだろうとたかをくくっていたのに気づかれた。だからどきん!

 しかし、引力を感じるとは、地球の引力ではなく、人からの引力(魅力)のように思う。地球が回っていることも、時代が速く突き進んでいることを感じていることではないか。それなのに風がそよそよと吹いている自分の周囲にいたたまれなくなって歩き始めた(前進を始めた)のではないか。それなのに、誰かが振り向いた。振り向くとは過去へ振り向くことである。自分が歩き始めた時に捨て去った過去へ振り向いた、ということではないか。


 いやいや、引力感じるねえ、というのは第1連で倒してしまったことにたいする言い訳で、引力があるから倒れたのだ、と。「みしみし」というのは、木がずれて出る音である。歩いて鳴るか、風や地震で鳴るかである。
 そして、引力は、地球の引力で、地球はぐるぐる自転している、と2行目に続いていく・・・。
 歩き始めるか、というのは、倒してしまったことに対して、知らんふりして歩き始めること。
 そして、誰かが振り向いた。自分が倒してしまったことに気づかれた、と思って「どきん」
 うん、話が通る。


 ……とかなんとか。
 3年生の子どもにこんなことを言っても仕方がないが。3年生の子どもには詩の意味を考えさせるのではなく、各行の下の擬声語・擬態語を楽しませるのがよいのではないか。


 1時間で取り扱いたい。

 二、とくで、第一連を取扱い、六、とくで第二連を取り扱う。

一、よむ ○昨日、お家で読んでみた人。
 今日は、この詩を覚えてみよう。
・順番読み。2人。
5分
二、とく ○題目:板書:どきん
 びっくりしたときの「どきん」なんだが。
 前半は、何を触ったのだろう。
◎ひびき
 何にびっくりしたのだろう
○手引き
三、よむ ・黙読 15分
四、かく 全文視写

さわってみようかなあ
       つるつる
のように、2行に分けて板書する。
五、よむ ・指黙読1回。指斉読2回。
六、とく ○事実・区分
 後半:歩き始めたのね。
◎山
 見つかった、と思ったのかな。
○余韻
七、よむ ・指斉読1回。
 暗唱に挑戦。