一、み る

 みる というのは、絵を見せてやるのです。子どもは、絵を見ることが好きです。そのわりに教科書を見ることは好みません。これには二つの理由があると思います。
 一つは、あの、掛図というものを見せるからであります。子どもというものはおかしいもので、同じものであるのに小さい絵より大きい絵を見させられるのを好みます。ところが考えてみると、子どもは掛図を持たないでしょう。ですから家で勉強するにも足りないではありませんか。それよりも、子どもの持っている教科書をやっぱり見せた方がよいのです。掛図は見せない方が為になるのです。掛図は、絶対に使わないことです。
 もう一つは、「今日のお勉強は、七・八ページだから、外のところ見るな。」と言う先生があります。見るなと言われるから子どもは気になるのです。絵本だったらどこでも勝手に見るのに、学校の教科書はそこしか見せない。そこしか開いちゃならんというから、先生が何かやっていくうちに、子どもは浮気して、こうやって見たりするのです。
もっともなことではないですか。子どもが見たがるのだから、見せたらいいじゃないですか。そこで簡単な問答をやり、自分がこれから小学生として学校生活をしていくのですよと自覚を高めるために、学校生活に大事な常識というものを培ったらいいではありませんか。学校生活ではどんな態度であらねばならぬかということを、絵の中に織りこんでいったらよいではないですか。
 はじめは、ごく簡単なところからいって、段々にその問題を高めていけばいいのです。
 だんだんに字を覚えてきたら、こんどは字を入れていくのも面白いのです。たとえば、「さくら」と書いて、「大事なことこれ書いているのだよ。」といって開いてみなさい。はじめは一々こう開いているが、そのうち進んでくると、「さあ、大の字書いてあるところ開きなさい。」とか、いろいろ問題を出して子どもに開かせます。そうして充分に見させるのです。
 そのようにすると、後の勉強をしても見たがりません。ずっと何ページか見せておいて、それから今日勉強するところはくわしく見せていくわけです。


 ◎挙手の習慣
 この時期に、どうしてもやって頂かなくてはならぬことは、挙手の習慣です。
「手を挙げて答えるしつけ」を徹底することです。
 なぜこれを強く強く言うかというと、先生が問をかけるとパッと答える子があります。パッと答える子は必ずしも頭脳明析の子ではないのです。でしゃばりの、おっちょこちょいの、おしゃべりというのがあるのです。そういう子がパッーと答えるのです。それに引きずられてはなりません。もしも、之を放任しておくと、子どもひとりひとり自分で考えるという自主的態度がなくなります。
 考えるのに時間がかかる子どもも多いのです。考えかけると、もう誰かがパッと答えてしまう。これが繰返されると、「先生何か問うたな。誰君が答えるだろ、あれは専門家だから、答専門家に任せとけばいいさ。」と考えて学習に参加しなくなるのです。
 四月は極めて常識的な簡単なことをやるのでよろしいけれども、段々進んでくるに従って、おしゃべりの、でたらめの、おっちょこちょいではマに合わなくなります。考える習慣ついていってから困ってくるのです。先生困った挙句、満場一致手を挙げないように、バカッーとカミナリを落したりするわけです。それは先生がそういうふうに好んでしてしまったのです。自分の罪を棚に挙げて子どもたちを叱っても遅いのです。必ず手を挙げて、指名されたら答えるようにしつけて下さい。


 ◎答えられない子の扱い
 手を挙げるので指名すると、さっぱり答えが出ない子がありますこれには三種あります。
 第一種は、知らないのに挙手する子です。判らんのに手挙げている子ですから答えはない。別に先生をだますつもりで挙手したのでもないのです。先生をだますとは何事ぞと叱るではありません。問のことも判らんし、判らんのは手を挙げてはならんということも判らないのです。だから手を挙げるのです。
 これは叱らないで、「あ、そうか。ほかの人代って言って下さい。」と言います。これを強く止めると、絶対に発言しない組などが生まれてくるわけです。
 第二種は、もじもじする子です。
 特に女の子に多いですが、こんな様子してね、いかにも恥かしいようにします。恥かしくて言えないのです。こんな恥かしがり屋のためには、先生が代って答えてやって下さい。「あなたの言いたいのはこういうことでしょう。」と言ってやって下さい。その子はこうやります。(にこにこの動作)そうしてそれを繰返していくうちに、言ってもいいんだなあという気風が、自然に生れてくるのです。それを待たねばなりません。
 第三種 立ってから 頭をひねる子。
 これは忘れたのです。ど忘れしたのです。手を挙げる迄は判っていたけれども、勢いよく立った拍子に忘れてしまうのです。そういう子のためには、もう一度問題を言ってやって下さい。もう一度言ってやったら答えるかというと、答えませんよ。やっぱり時間がかかるのです。おとなと違うのですから。打った電報が受信されないわけなんです。そこで時間がかかる。それを待ってやらなくてはなりません。


 ○完全話型
 ただ立って答えるだけのことすら、こんな子があるのです。いわんや、入学当初から「ハイ 何々でございます。であると思います。」などと、完全話型で答えなくちゃならん と訓練されたら、いよいよ答えかねるのではないですか。
 完全話型のことはこの前お話したと思いますが、生活とは程遠いのです。そういうことを訓練するには他に場があります。例えば、職員室にきて、先生にぶっきらぼうにものを言ったら、こういう時に「あなた、こういうのだよ。」と教え、「じゃもう一度言い直してごらん。」「よし、よそへお使いに行ったときは、今のように言うのだよ。」こう導けばいいのです。それを何回か教えたらちゃんと言えるようになります。何も教室で一々やる必要はありません。

 ○腰掛の扱い方
 立つと、腰掛をちゃんと机の下に入れる。それから答える。答えたら腰掛を出して坐る。がたがたとひっぱる。こんなしつけをする先生があります。
 腰かけをしまうのは大事なことです。出し放しにするのは悪いことです。けれども、これは時間の最後にすることです。出し放しにしておくと人の迷惑になるからしまうのです。ところが、応答するたびに腰掛入れる必要はないでしょう。その時間は、その机・腰掛は占有しているのですから、入れなくとも迷惑かけることはないのです。みんな何もかも一しょくたに心得ては駄目です。
 第一、おとなは、そういうことは絶対にしません。何だ、あの先生、だらしない。もっときれいにしたらどう。などと蔭口言われておりながら、子どもにだけ難かしいこと言ってみても、これはダメなんです。


 ◎コトバの技術
 それから、ここでは、「ハイ 何々です。」というコトバの技術を練磨していくよりも、生きたマコトのコトバを使わせるということが最も大切なのです。生きたコトバというのは、子どもの最も言いたいコトバです。最も言いたいことを言わせる。そして、マコトの心のこもった腹一ぱいのコトバを言わせるということが、国語教育のねらいではないでしょうか。ただ形式だけ整えても、生きたマコトのコトバとはいえないのです。
 生きたコトバを使わせると、あるいは方言がとび出すかも知れません。方言を出したら、先生はこれを受けとるとき方言で受けないで下さい。先生は標準語に近いもので(標準語習得は三世代を要す)受け止めます。「こういうことを言ってくれたのだね。」と、標準語に直して言い換えて下さい。そうしてやると段々にコトバになれてくるものです。
 なお、半分答える子があります。それを、「おしまいまで言いなさい。」と責めないで、先生はその後を足して受けてやって下さい。始めからうまくいくものではありません。こういうことは、子どもの身になって言ってやって頂きたいものです。